1990年に株式会社ロッキング・オンに入社し、98年より音楽専門誌「BUZZ」、邦楽月刊誌「ROCKIN'ON JAPAN」の編集長を務めた音楽ジャーナリストの鹿野 淳さん。2007年3月には音楽雑誌『MUSICA(ムジカ)』を創刊するほか、これまで多くの音楽フェスの開催にも携わってきました。2014年には埼玉県最大のロックフェス「VIVA LA ROCK」を立ち上げ、SVOLMEもコラボグッズの作成に携わる「ビバラ」は2019年で6回目の開催を迎えます。

また、鹿野さんは2006年にはサッカー雑誌「STAR soccer」を創刊(現在は休刊)するなど音楽以外のジャンルでも活躍。令和の東京オリンピックを前に、昭和の東京オリンピックの1964年に生を受けた鹿野さんが、スポーツについてもそのリアルな言葉で語ります。前編と後編の2部でお届けする今回のインタビュー。前編は鹿野さんが感じた「サッカーとマラソン」の魅力や、そこに辿り着くまでの経緯を語ります。

2019.05.01

音楽ジャーナリスト鹿野淳が語る「サッカーとマラソン」の魅力

鹿野淳さん(音楽ジャーナリスト)

海外サッカー観戦で感じた「レイブ感」

- まず初めに、鹿野さんとスポーツとの関わりはいつから始まったんでしょうか。

王貞治・長嶋茂雄がスーパースターの時代だった頃に野球をやっていて、リトルリーグでプレーしながらも11歳でエレクトーンの教員免許を取得したりして。でも、中学に入ってから反抗期でそれが全部イヤになって、そこから卓球を始めてかろうじて県大会へ。高校ではバスケで2軍。スポーツでは右肩下がりの人生だったんですよね。

- どのタイミングでサッカーに出会ったんですか。

小学3年生のときに、東京オリンピック日本代表のディフェンスの選手が、僕が通っていた小学校に赴任してサッカー部を作ったんです。その後、僕は他の小学校に転校してしまうんですが、小6の時にそのチームは日本一になって、「すごいな!」と。そこから時は過ぎて、ロッキング・オンへ入社後、仕事でロンドンに行った際の自由時間にマンU対チェルシーの試合(FAカップ決勝)を観に行ったんですよ。その時、僕の席の周りに血気盛んな50人ぐらいのアラブ人の集団がいて、もう大暴動状態で…(笑) 。殴り合うわ、発煙筒ではない本物の火をスタンドで焚くわ、試合途中にその人たちは半分ぐらい退場させられていたんですが、そこに「ロックライブ以上の熱狂」を感じて、サッカーの面白さを知りましたね。

それから、Jリーグが開幕(1993年5月)して、ドーハの悲劇(同年10月)があって、所謂歓喜のジョホールバルの試合(1997年11月)は弾丸ツアーで現地観戦。その頃にはサッカーが大好きで、イングランドにも試合を何度も見に行くようになって。39歳でロッキング・オンを退社後、ひとり旅としてUEFA EURO 2004に行ったんですが、開催国のポルトガルが決勝戦に進んだので、もう酷いお祭り状態で。その場の盛り上がりに完全にロックオンされて、観戦記を長々と書いて。そこで、ある会社から一緒にメディアを立ち上げませんか?とオファーがあって。それが「STAR soccer」創刊の経緯です。

- サッカーの好きなところや、音楽との関連性はどんなところでしょうか。

サッカーの“レイブ感”がたまらないですね。音楽もサッカーも、オーディエンスがグルーヴを作るじゃないですか。イングランドでも感じたんですが、サッカーの試合中にチャントを叫び歌う文化は、UKロックの原点だと思うんです。オアシスの曲をみんながスタジアムライヴで歌うのって、オアシスの歌がチャントと同じ効果があるものだからだと思うし、彼らのサッカー愛がああいう歌を作らせていると思うんですよね。だからサッカーの中にもロック的な臨場感があるんだなと感じてからは、余計にスタジアムに行くのが好きになったんです。

イングランドでは、サッカー好きなお父さんが誇らしげにスタジアムやバーに子供を連れて行って、子供はそれに影響されてサッカー選手やロック歌手を目指す。日常にサッカー文化が根付いている、これぞイングランドなんですよね。僕はそういう背景やストーリーに、とても魅力を感じる。

マラソンの中盤以降に必ず訪れる「トリップ」

- サッカー以外ではマラソン好きな鹿野さんですが、なぜマラソンを走ってみようと思ったのでしょうか。

東京マラソンの旧コース(第1~10回まで)が家のすぐ横で、2回目の時かな? 家からずっと観戦していたんです。そしたら、女子アナの方がレースの終盤にも関わらず朗らかな顔をしてカメラマンを引き連れて走っているんですよ。36キロ地点を(笑)。その顔を見たときに「あんなに多忙な女子アナでもマラソンをしっかりと走れているんだから、俺でも走れる!」と思ったのが、走り始めた情けないキッカケです。それで、第3回の東京マラソンに参加して、最初は6時間以上かかったんですが、今は4時間ぐらいでマラソンを走れるようになりました。これまでに17,18レースほど経験しましたが、現在は1年に2,3回ほどマラソンを走っています。

マラソンの何がいいって、走っている最中に必ず「トリップ」する瞬間が来るんです。毎回25~28kmぐらいで、「なんで今回のマラソンにエントリーしたんだ…」とキツくなって、やめたくなるんですよ。でもそこでリタイアする勇気がない。その後、自分の中でやめる・やめないの葛藤が始まって、頭の中で思いを馳せながら自分の人生を振り返って… これが2回目のトリップです。それが、7kmぐらい続いて、35kmぐらいになると突然ゴールが見えてきて、我に返って楽しくなるんです。人生でなかなか無いような、こんな経験ができてしまうフルマラソンが大好きなんです。だから健康のためのジョギングが好きというよりかは、過酷な中で自分を責めることすらあるマラソン大会が好きなんです。

- 海外マラソンでは、シンガポールマラソンにも出場されていますね。

5万人規模の大会だったことを含め、シンガポールマラソンは印象深いです。朝5時にスタートで、真っ暗の中走っていて、7時ぐらいから湿気もあって、厳しいコンディションで吐きそうでした…(笑)。シンガポールはその当時から一気に国際的な知名度や開発が進んでいった場所で、SVOLMEがちょうどシンガポールに出店したタイミング(※)でのレースでしたね。SVOLMEのアジア進出を見て、先行投資しているIT企業みたいなアクションで「すごいなぁ」と思っていました。

(※)2012年7月にシンガポールのオーチャードに開店。現在は閉店

- これまでの人生で様々なものに興味を持てる「バイタリティ」は、どこから出てきているのでしょうか。

いやいや、そんなことはなくて、最近は割と疲れてますけどね...年齢も年齢ですし(笑)。

書き手である仕事を生業にしている部分を含めて、性格は基本的にはネガティブなので(苦笑)、物事は普通にうまくいかないと思っていますし、小学生以降ずっと自分の人生は下り坂だとも思っています。だからこそ、「今やっていることがうまくいかないと食いっぱぐれる… 自分の家族がいるのに周りに迷惑をかけてなんて生きられない」——そんなことばかり思ってはいますが、同時に「本当にやりたい仕事じゃないと、絶対にうまくいかない残念な人間だし、その程度の能力しかない」という冷静な現状判断を常に持っています。

だから結果いつも崖っぷちですし、VIVA LA ROCKでもプロデューサーとしてそれなりの多くのものを背負っているので、成功させないとボクサーの防衛戦のようにすべてを失うことになる。だから「絶対に成功させないと生きる資格もない」っていう気持ちで生きています。

「後編:ビバラとフェス編」