1973年11月3日、山形県生まれ。大学卒業後、東京都多摩市の特別支援学校、大田区立羽田中学校への赴任を経て、2012年より品川区立荏原第一中学校の数学教師、サッカー部の顧問を務める。東京都中体連選抜や各支部の選抜チームの監督・コーチを歴任し、2019年には荏原第一中学の創立以来初となる全国中学校サッカー大会出場に導く。

ーーまずはじめに菊地先生の経歴をお聞かせいただけますでしょうか?

菊地洋至先生(以下菊地先生) 私には選手として決していい経歴があるわけではありません。山形県出身で、小学校からサッカーを始め、中山町立中山中学校から県立山形南高等学校に進学。強豪私立日大山形高等学校を倒すために、高校選手権全国出場を目指してサッカーに打ち込んでいましたが、結局日大山形に敗れ、私の高校サッカーは幕を閉じました。高校卒業後は、文教大学体育会サッカー部に入り、埼玉の大学リーグでプレイしましたが、埼玉県リーグの中位レベルで特に芽は出ずに学生サッカーを引退しました。

ーー学生時代は指導者からどのような指導を受けましたか?

菊地先生 実は、小学生の時から決まった指導者に教わってきたことがなかったんです。小学校・中学・高校とサッカー未経験の方が監督で。中学・高校のときには、自分たちで色々な練習を考えてやっていました。しかし、高校の時に順天堂大学を卒業したOBの外部コーチが配属され、選手のストロングポイントを活かした指導を受けるなかで、さらにサッカーが好きになりました。指導者になりたいと思ったのはそれがきっかけでしたかね。

ーー大学卒業後はすぐにサッカーを指導されたのですか?

菊地先生 いえ。教員になって、部活動でサッカー部の顧問になりたいという夢はありましたが、最初の赴任先は肢体不自由の特別支援学校でした。部活動がなかったので、在任中の4年間はサッカーから離れてしまっていましたね。その後、大田区立羽田中学校に異動をして、初めて憧れてきたサッカー部の顧問になりました。

ーー指導をされた当時を振り返るといかがですか?

菊地先生 いやー、イメージしているものとは正直違いました。部員数も少なく、3名しかいなかった時は合同チームを組んで活動したこともありました。あの頃は役員として参加していた都大会の抽選会を見ていて、「死ぬまでに一度はあのくじを引いてみたい」と思っていましたね(笑)。
ただ、一番の問題はどのように指導すればいいのかわからなかったことです。そんな時に、東京都中体連技術部が開催してくれたクリニックに参加し、A級コーチのトレーニングを観て、衝撃を受けました。それが転機になり、C級ライセンスを取得し、実際チームに還元していくと、選手の表情がみるみるうちに変わっていくのを感じました。そこから、もっと選手を笑顔にさせられる指導者になりたいと、サッカー指導者の道にのめり込んでいったわけです。東京都中体連技術部に所属し、中体連の選抜活動、東京都中体連選抜のコーチや監督を任せてもらうことができました。東京国際ユースのような大きな大会にも出場することができたので、私自身にとっても非常に良い経験になりました。
そして2012年、今の品川区立荏原第一中学へ異動してきたという流れです。

ーー荏原一中サッカー部の最初の印象はいかがでしたか?

菊地先生 私が赴任する前から、都大会の常連校で、元々上手な選手も多く、力のあるチームでした。何より、サッカーが大好きで、練習を休みにすると残念がるようなサッカー小僧の集まりでしたね。サッカーに関しての自分の考えをしっかりと持っていた選手が多かったのも印象的です。ただ、関東・全国への出場というよりは、まずはコンスタントに都大会に出ることを目標にしているように私は感じました。公立中学校の教員は、異動先を選べず、いつかは去らなければならない。もうすでに40歳を迎えていましたが、私はこのチャンスに人生をかけ、このチームでできることは何でもやろうという気持ちでした。ちょっと熱すぎますかね(笑)。

ーー2019年には学校創立以来初の全中(全国中学校体育大会)に関東代表として出場されました。どのようにして私立中学校と渡り合い、強くすることができたのでしょうか?

菊地先生 何ででしょうねえ。ユニフォームをSVOLMEに新調したからかなあ(笑)。でも、確実にいえる事は、これまでの荏原一中の「歴史と積み重ね」です。私が赴任した後の二年間は、監督である艸(くさ)川先生(現東京都中体連サッカー専門部部長)がいらっしゃったので、私がヘッドコーチとして、このチームにとって何が必要かをいつも話し合いながら、Tリーグへのチャレンジに踏み切りました。中体連の枠だけではなく、強豪の私立校やクラブチームなど様々な相手と対戦する中で、選手たちの経験の幅を広げることができたと思います。その後、艸川先生が異動してしまいましたが、2人で指導した2年間が徐々に実を結び、新人戦では3位、2位と結果も出始め、次年度には新人戦で優勝できました。この時が、明確に関東・全国出場を意識した瞬間となり、私立やクラブに勝ちたいということを意識しなくなりましたね。新人戦初優勝を成し遂げたチームは、夏の総体では準決勝まで勝ち続けましたが、2-0からの逆転負けという衝撃的な敗戦となってしまい、その姿を目の当たりにした次の世代の選手たちが全中出場を果たしたわけです。全中に出場できた理由は、その世代世代の選手が絶対的な強さと技術を追求し続けてくれた結果と考えています。そして、それを支えてくれた保護者のバックアップも最高でした。つまり話をまとめると、やっぱりユニフォームをSVOLMEに新調したお陰です(笑)。

ーー全国大会出場以降は、好成績を残すも全国までは漕ぎ着けられていないというところで、全国出場の壁はどんなところにあるとお考えですか?

菊地先生 言い訳になってしまいますが、東京から関東に出られるのはそう簡単なことではないんです(苦笑)。関東代表になれるのは東京からだと2チームのみ。東京のチームは全国でも通用します。とにかくこの2チームに残るということは全国でも通用するチームを創るということに他なりません。その壁をなかなか乗り越えられないというのが正直なところです。ただ、荏原一中の選手は、これまで同様に絶対的な強さと技術を追求していく姿勢やサッカーが大好きなサッカー小僧の集まりであることには変わりありません。結果は出ていないかもしれませんが、選手は荏原一中の選手として、頑張り続けてくれています。そして、十分にチャンスがある選手に育ってくれています。
もし、敗因を上げるとしたら、私の指導不足が全てです。

ーーここからは『部活動の地域移行』についてお聞きします。まずは、部活動の良さはどのようなところにありますか?

菊地先生 指導者の視点から見れば、中体連の良さは学校生活を共に過ごしながら部活動ができること、また授業が終わったらすぐに校庭で練習ができ、18時には終えられるので、生活リズムが安定させられるということだと思っています。育成年代にとって睡眠は大事だし、食べること、学習することも大切ですからね。また、学校生活を見届けながら、その生徒のコーディネートができるわけなので、サッカーだけの関係ではない教育・育成ができるのはとても有効だと思います。選手たちにとっても、サッカー以外の長い時間を共に過ごしていくわけなので、生涯つき合っていくような仲間意識が芽生えるのも良さの一つだと思います。僕がそうやって育ってきたので(笑)。

ーー荏原一中において、移行の進捗状況はいかがでしょうか?

菊地先生 地域移行については、各チームで進めていくのではなく、市区町村ごとの地域性の問題もあるので基本的には自治体に任せられています。品川区は議論を重ねているところだと思いますが、今現在の地域移行に関しての動きはあまり見えません。どのような全体像があって、どのような方針でやっていくのか、私たちにはまだ見えない状況なので少し不安なところもあります。
地域移行とは離れているかもしれませんが、荏原一中のサッカー部では、熱意のある部活動支援員1名と外部指導員1名の計2名に指導のサポートをお願いしています。
今までは顧問が現場にいないと活動ができませんでしたが、部活動支援員は私が現場にいなくてもその指導員がいれば部活動を実施できます。もう一人の外部指導員は、新人戦初優勝を成し遂げたものの、あと一歩のところで関東出場を逃してしまった世代の主将だった荏原一中のOBの大学生コーチです。
私としては、この地域移行を利用して、このような熱意のある指導者にこのサッカー部の灯を継承していってもらえるようなシステムを作りたいという気持ちはあります。まだ構想段階に過ぎず、動けないというのが現状ですが。

ーー『部活動の地域移行』について、菊地先生はどのようにお考えですか?

菊地先生 教員が部活動の顧問をやらなければならない状況であることは、学校現場としてこれまでも課題とされてきたことです。
だからこそ、絶対に反対とは思っていません。ただ、全ての人にプラスである地域移行にしてほしいと思っています。
例えば、現在指導にあたっている大学生のOBコーチは、教員免許を取得し、教員として部活動の顧問になりたいという夢を持っています。将来的には荏原一中の教員となり、選手時代になしえなかった夢を指導者という立場で叶えたいと語っています。彼のような夢を持った人材を無駄にするのはサッカー界にとっても大きな損失です。理想論になるかもしれませんが、指導したい教員に指導機会が与えられるシステムづくりや、教員が異動しても地域に根ざした指導を受けられるシステムづくりなど、ネガティブではない、みんなが幸せになる地域移行が実現すれば素晴らしいですね。結局、現実的には予算と人材の問題が大きく影響してしまうと思いますが、何とか夢のある地域移行にしていかなければならないと思っています。

ーー最後に。来年度に向けて、選手たちにはどんなことを期待したいですか?

菊地先生 毎年のことですが、再び全中に連れていって欲しいです(笑)。可能性が無限な選手たちなので。また、私の部活動で大切にしていることでもある「サッカーの楽しさと厳しさ」をたくさんの経験をしていくなかで、感じてほしいと思います。その経験の中から、「魅力的な人間」に成長してくれるきっかけにしてもらえたら嬉しいですね。
徐々にチームとしてもできることが増えてきているので、たくさんの伸びしろがあるなと感じますし、コーチとも話しながら課題がどこにあってどのように解決していくかということをしっかりプランニングするなど、選手がたくさんの経験ができる準備を整え、選手のモチベーションを上げていければいいかなと思っています。とにかく、「どうせやるなら、とことんやろう。」選手ばかりではなく、スタッフも成長し続けられる1年にしていこうと思います。公立中体連の誇りをもって、力を魅せつけたいですね(笑)。