1990年に株式会社ロッキング・オンに入社し、98年より音楽専門誌「BUZZ」、邦楽月刊誌「ROCKIN'ON JAPAN」の編集長を務めた音楽ジャーナリストの鹿野 淳さん。2007年3月には音楽雑誌『MUSICA(ムジカ)』を創刊するほか、これまで多くの音楽フェスの開催にも携わってきました。2014年には埼玉県最大のロックフェス「VIVA LA ROCK」を立ち上げ、SVOLMEもコラボグッズの作成に携わる「ビバラ」は2019年で6回目の開催を迎えます。

前編と後編の2部でお届けする今回のインタビュー。後編は音楽ジャーナリストの鹿野さんの目線で考える「ビバラとフェス」の意義や、音楽についての鹿野論を語ります。

2019.05.03

音楽ジャーナリスト鹿野淳が語る「ビバラとフェス」の意義

鹿野淳さん(音楽ジャーナリスト)

フェスを「地域」とともに作り上げる

- 鹿野さんはインタビューにおいて、どのアーティストの言葉も上手く引き出していますが、そのコツは何でしょうか。

人の心がなかなかわからないなあって思いながら生きているし、仕事もしているんですよね。不思議なことばかりです。だからそのわからないって事と、不思議な気持ちから逃げないで、それを相手にぶつけるのが大事かなって思います。あとは、インタビューにおいて「質問票を用意するな!」ですね。Q&Aのインタビューでは、基本的には質問は1つだけ用意しておき、あとはその1つの質問が万が一失敗してしまった時の保険として、もう1つ質問を用意しておくだけ。それぐらいの方がいいんですよ。だって質問の1つ1つを<用意した質問>で並べるなら、メールインタビューで十分ですから。そういうご時世でしょ? だけど、相手の発する言葉から自分も色々なことを思うじゃないですか。人は自分と違うから、不思議で素敵なことを言ってくれる。それに対して、あとは会話をすればいいんです。それだけでいいと思うんです、まるで友達とカフェで長話をするように。

友達とは1つの話題で2時間も3時間も盛り上がったり悩むじゃないですか。それでいいんですよ、インタビューなんて。というか、それこそがいいんです。だから取材も1つの質問がヒットしたらそれで1時間は話せますし、曲に例えるなら、その1つの質問こそが「大サビ」の部分になるんです。そのサビの部分に辿り着くまでのAメロ、Bメロを質問票を作らずに自分の頭の中でイメージしながら、相手にいつもと違う、だけど本質的な話をしてもらう努力をするんです。

特に海外アーティストの場合は、同じ内容のインタビューを何カ国でも受けるので「答えのテンプレート」を持っています。だから普通に取材の質問をしても、日本を含めてどこの国においても、中でも同じ答えしか出てこないんですよ、基本。でもこっちだって人生削ってこの仕事をしているんだから(同じ答えしか出てこないなんて)嫌じゃないですか。そうなった場合に、いかにアーティストがこれまでに話してない内容に誘う質問を1問目に投げ掛けられるか? そういう質問を受けると、アーティストはスペシャリストでありたいと思っているから、取材のギアを本格的に入れて一生懸命良い答えを持ってこようとするんです。そういう駆け引きが楽しいんですよね、取材って。

- 鹿野さんが手がけるフェスの「VIVA LA ROCK」を始めた経緯や、そのこだわりを教えてください。

まず、このフェスは「埼玉の人たちと心中する」という気持ちでやっています。

この10年間で巷にフェスが多くあふれてブーム化しているいる中で、2014年からフェスをやるのは後追い感があったし、毎日2万人動員で数日間開催なんてほぼ自殺行為だなって誰もがいうわけですよ、当初。でも僕はフェスの中でやりたいことがはっきりとあるから、そんな後追いでケツを走っていても、やりたかったわけです。で、色々調べたんですが、埼玉県は人口が多く、しかも年々増加しているのに県を代表するフェスがなかったんですよ。そこでまずあれ?って思ったんです。「首都圏の東京、千葉、神奈川、茨城でも大規模なフェスがあるのに、なんで埼玉にはないの? だったら埼玉に根付くフェスがあれば成功するのでは…?埼玉県の人って自虐的だし、愛情が深いから人間臭くて面白いなあって前から感じていたし」と思い、埼玉県と共に作ることを大事にして、埼玉のメディアと絡んだり地元アーティストを積極的にお誘いして、「埼玉とロック」だけにこだわったんです。

そんなことを5年間続けていたら、ようやく今年、埼玉から「ビバラさん(VIVA LA ROCKの愛称)、ちょっとちょっと」ってお話がくるようになったんですよね。たとえば、所沢ビールとのコラボで一緒に作った「ビバラビール」を販売したり、ビバラの前後で埼玉のファミリーマート全店でオリジナルの内容の「ビバラ弁当」を発売したり。その他にも、浦和レッズの試合では「ビバラシート」を用意して、サッカー好きな人がフェスに行く流れを作って、さらにその逆の流れ(フェス好きがサッカーを見に行く)も作っていく。そうやって、埼玉の「食・フェス・サッカー」の3つが交じり合う、という流れを今年は実感しています。今後も「埼玉とロック」にこだわって、それらに関することは基本的に何でもやっていこうと思っています。

- これまでフェスの成長を間近で見てきた鹿野さんですが、フェスブームについてはどのように考えていますか。

1990年代から始まったAIR JAMやフジロックフェスティヴァルなどはフェス先進国のヨーロッパやアメリカからの影響で生まれたものですよね。だからこの国には根付いていなかったので、最初はフェスなんて怖い場所だってみんな本気で思っていたんですよ(笑)。なので、男性が1人で観に行く場所だったんです。でも彼らは「意外とピースフルな場所なんだな」と知って、家族・恋人・友人と一緒に行くようになり、それからフェスブームが定着したんですよね。その後フェスという言葉は一般化して、今や音楽ファンだけのものではないし、ファッショやカルチャーとも一体化して2020年を迎えます。そこで新しい音楽の真価が問われると思うんです。スポーツにもレジャーにも負けない、音楽の力。それを僕は自分のフェスから覗いてみたい。そして、スポーツ・グルメ・アウトドア・地域性などと絡めて、音楽が新しい生き方を提案できるものにしたいです。

ピンチをチャンスに変えて「新たな風」を吹き込んでほしい

- 音楽の聴き方は今後どう変わっていくのでしょうか。

ここ何年間ってCDが無くなりそうとか、レコード会社が潰れそうとか、時代の変換期にあるようなことばかりが飛び交っていますが、一方で実は1979年のウォークマンの発売から、音楽の聴き方は基本的には変わっていないようにも感じます。

ウォークマンが生まれるまでは、家電メーカーが販売するステレオ機器を買って、その販売促進のためにレコード会社が生まれてレコードが販売され、そのレコード会社が音楽産業を作っていったわけです。そして音楽はリビングルームで一家の団欒とともに聴くものになりました。それがウォークマンの登場によって、音楽は「リビングルームの団欒」から「パーソナルに楽しむもの」になったんです。今はウェブ上で簡単に音楽を聴くことができる新しいシステムが生まれましたが「パーソナルで聴く」という観点からすると、1979年からあまり変わっていないように感じます。音楽を携帯できるようになったウォークマンが登場したあの時が、音楽が1番変わった瞬間だと僕は思います。なんか、平成のみならず昭和までを振り返るような内容になっちゃいましたね(笑)。

あとは、1981年にアメリカで「MTV」という音楽チャンネルが始まってから、ミュージックビデオの出現によって音楽をビジュアル化していく過程で、音楽は『聴くもの』から『観るもの』に変わりました。そこが起点になって、見るだけではなく『体感するもの』としてライヴ産業が活性化し、今に至っていると思います。そこに至るまでにビジネス側の話は大きく変わりましたが、音楽が人々を豊かにするBGMであることはいまだに一緒だと思うんですよね。

- これから社会に出て「音楽業界で働きたい人」へのメッセージをお願いします。

(賢明な人へのメッセージとしては)今は音楽業界に入らないほうがいいかもしれないですね。音楽が本当に好きなら、音楽業界の外側から関わりを持ったほうが新たな取組みができるかもしれないから。これはとても残念だし寂しい話ですが、そういう客観的な感覚は大事だと思います。音楽業界側のレーベルとか広告代理店は目先のことで精一杯で、現実的な予算しか見ておらず、クリエイティヴなビジョンが無いという保守的な部分があることから、新しいことが実現できる確率が低いんです。でも、たとえばインターネットテレビとかは、それが良いものかと言ったら僕はそうは思わないけど、それでもやりたいことはメディアとして見えますよね。そういう風に外側から音楽業界に関わると、しがらみが無いから音楽業界でやりたいことの実現率が高い、これが現状です。

ただ、本音をいうと… 今の音楽業界はどん底です。だからもう、これ以上は下がりようが無いし、逆さに降っても鼻血も出ないんだから、ある意味逆説的に言えば、ここからはプラスに向かうって楽観的な気持ちもあるんですよ。

自分が音楽業界に入った時代は、自分が書いた原稿を見て「音楽を聴きたい!」と思ってくれる人がいました。だから頑張って本当のことを果敢に綴っていたんです。でも、今は「言葉狩り」があって好きなことが書けないし、ジャーナリズムがやりにくい時代になりました。ただ、こんな時代だからこそあえてそこに飛び込んで「ピンチをチャンスに変えて“新たな風”を吹き込んでほしい」というのが本音です。そういう情熱のある人がこの業界に入ってきたときに、新たな音楽業界が出来上がると思います。

- 最後に、鹿野さんから見た「SVOLME」とは、どんなブランドですか。

第一印象は「フットサルなのに、なんでこんなにナンパなデザインなんだろう」というものでした(笑)。SVOLMEは「フットサル商品は男性が買うもの」という固定概念を覆したし、SVOLMEと最初に出会った当時から「慣習にとらわれない多様性(オルタナティブ)」を感じていました。今はフットサルだけじゃなくて、ランニングにも手を広げていますが、なかには「ランニング業界はフットサルブランドがやっていけるほど甘く無い」と思っている人もいると思います。でもそういう闘いってやりがいがあると思うし、そのやりがいはそのままビジネスチャンスに繋がると思うんです。

さっきのVIVA LA ROCKの話じゃないですけど、僕もそういう逆風に晒されながら、今まで新しいことをやってきました。SVOLMEもフットサル一本でやってきた頃から、軸はブレていないし筋を通している。いつか、必ずその新しい成果が出る日がやって来ると思っています。

「前編:サッカーとマラソンの魅力」