ーープロ選手としてのキャリアを終えました。今の心境はどうですか?

柏木さん 悔いはないですね。スパッと決められました。ここ数年は、そろそろかなと思い続けていたんで。だから、もう走らなくていいんだ、と思ってホッとしています。

ーーサッカーは自分の思い通りにできる、できるように努力することが楽しい、という一面があると思います。そういう意味でケガを含め「思い通りにできない」苦しみが決断の理由になったところはありますか?

柏木さん どうですかね。むしろ、サッカーが変わってきたという部分が大きいかなと思います。岐阜に移籍してきて、本当に岐阜の人たちに救われたし、助けられました。その分、岐阜が大好きになっていったんですね。
 そうすると僕みたいなタイプは辞めた方が岐阜のためになるんじゃないか、前進するんじゃないか、そう感じるようになっていったのはあります。プレイヤーとして貢献するのは難しいから、それ以外のところで自分の経験や考えを岐阜に捧げられたらな、と。

ーーなるほど、そのサッカーが変わった、というのは。

柏木さん 今のサッカーって「時間が止まらない」んですよね。選手個々の身体能力はすごく高くなって、フィジカルも強くなって……日本代表なんてもう本当に強いじゃないですか。そういうのを見て、自分みたいな選手は求められてないのかな、と感じたんですよね。(小野)伸二さんも引退されて、その前だと(中村)憲剛さん、(中村)俊輔さんみたいな僕が憧れていた選手がいなくなった。自分はそのレベルと同列には語れない存在ですけど、それでも18年間やれたので。——自分に厳しいタイプでもなかった(苦笑)僕がやれたことは、三人の先輩たちとはちょっとレベルは下がるかもしれないけど、フィジカル全盛の今にない視点をこれから伝えられるかもしれないと思っています。
 現役より後の人生のほうが長いじゃないですか。岐阜に対してもサッカー界に対しても、自分は「走る」より「伝える」ことのほうが、これからは少し貢献できるんじゃないかな、と。

ーーなるほど。思いを知った上で意地悪な質問ですが、今のサッカーにはワクワクしないというのもありますか?

柏木さん ははは。三笘(薫)選手くらいすごいと、ワクワクして、もう一回、試合を見に行きたい!ってなりますけど、どうかなあ……。なんか、自分の中では「あの選手のプレーが頭から離れない」っていうのが減っているのはあると思います。
 さっきも言った、時間を止める瞬間みたいなものですよね。

ーーそれはどんな瞬間ですか?

柏木さん 自分でプレーしていても、「あ、今のパスで時間が止まった」とか「逆を突かれた」とか……なんかあるんですよ。ふっと空気が緩むというか、止まる。悪い意味ではなく、これはカテゴリにもよると思います。僕は自分でJ3を選んだわけですから、そこに対してネガティブな思いはありません。でも、プレーをしていて、一つの状況に対して選択肢が少ない、場当たり的になりがちだな、というのは感じていました。
 上のレベルは――例えばさっきの今の強い日本代表選手たちってフィジカルな展開の中に、選択肢が5つくらいある。それがないと、いつも目の前のプレーに対応しているだけ、になってしまう。今の日本代表が強いのはフィジカルが追い付いて選択肢もあるからで、フィジカルだけ追い求めたら……個人的には面白さはないかな、と。もっと変化を読める選手が出てきてほしい。
 まあ、あくまで僕の理想です、これは(笑)。

ーーこれからのサッカー界にそういった経験を還元していきたい、という思いが伝わりました。以前の柏木さんに比べて、伝える言葉が明解になっている気がします。岐阜にきてキャプテンとして練習中にチームメイトに言葉をかけるシーンもよく見ました。意識をされたところでしたか?

柏木さん チームとして昇格を目指すことと、選手としてもっとレベルを上げること。そんな話ばっかりですよね。ある意味、選手たちには「昇格より大事なこともあるぞ」って言っていました。昇格を目指すのは大前提です。でも、ただ言われたことをやるだけだったら誰が出てもいいわけです。僕が岐阜に来てから、大きく選手としてレベルアップした選手が何人いるのか?って言われたら、ほとんどいません。
 それってどういうことかっていうと、自分で考えられるか、目標を設定したうえで将来の成功のために「逆三角形」で今、何をするべきか、を理解して取り組んでいる人がどれだけいるか、いないんじゃないか……と感じて。そういう話を中心にしていました。

ーーなるほど。これからの岐阜がますます楽しみです。

柏木さん はい。本当に。

ーーでは現役生活を振り返って頂きたいと思います。ご自身のなかでこれは良かったと記憶に残っているプレーはありますか?

柏木さん なんだろうな……。いくつか思いあたるんですけど、いつの試合だったかがあいまいです。あんまりそういうことを覚えられない人間なんで(笑)。でも、自分のプレーの象徴はパスだと思うんですよね。そうするとだいたい、(興梠)慎三へのアシストが思い浮かびますかね。ヴィッセル戦での慎三へのパス(2018年9月23日2点目のアシスト)とか。

ーーホットラインでした。

柏木さん 今、思うとそういうのも二人だけの関係ではなくてチームメイトが動いてくれていたからこそ成立していたんだな、ってわかるようになるんですけどね。神戸戦でいえば、二回切り返してトゥで決めたシュート、ありましたね(2017年4月1日)。あれも覚えているな。あのシュートは自分でもびっくりして。こんなプレー、まだできるようになるんだ、って思いましたね。

ーーあのシーンのアシストは興梠選手のフリックでしたね。

柏木さん やっぱり人がかかわっているシーンが好きなんですよね。自分だけというか、ゴールを決めたシーンももちろんなんですけど、そうならなくてもいいパス出せたな、と思うことはあって。そういうのって、自分だけじゃなくてチームのみんながかかわっているわけじゃないですか。誰かが走ってコースを作ってくれたり、その前でボールを奪ってくれてたりして、そのパスが生まれているわけなんで。サッカーを通して、自分の人生ともつながるな、と思うのはそういう人とかかわっていく中で、何かが生まれてくることが好きだし、記憶に残るんだろうなと思うんですよね。

ーーサッカーを通して出会った人やものというのはたくさんありそうですね。

柏木さん スパイクとかもそうですよね。僕はレッズ時代の途中からSVOLMEというサッカー選手で履いている選手は少なかったメーカーさんのものを着用していたんですけど、まさに出会いだったんです。こういうと、ヤバいやつに思われるかもしれないですけど、スパイクにこれだってこだわりがあるタイプではなくて、フィーリングを重視。その点で「皮」が一番合っていたんですよね。でも、時代的にどんどん減ってしまって。よく「皮」は水を含むと重くなる、っていうじゃないですか。ぜんっぜん、気にならないんです。そんなとき、SVOLMEさんがスパイクを作ってくれるってお話を頂いて、「こんなカッコいいブランドのスパイクを、僕でいいんですか!?」みたいな感じでした。
 だから、現役中もスパイクに対して改良をお願いしたことはないんじゃないかな。「紐がほどけやすい」くらい? あ、あとは滑り止めのためにポイントの調節をおねがいしたくらい。
 一流の選手ってそういう部分、ものすごいこだわりがあるじゃないですか。自分の足のサイズを細かく測って合うソールにするとか、ちゃんと考えて選んでいる。でも、僕はそうじゃない(笑)。むしろ、SVOLMEさんがやっていることが好きで、じゃあ一緒にお願いしたい、みたいな感覚なんです。なんでもそんな感じだから、思い付き的な行動に見られることもあるけど、自分の中では「人」や「もの」の哲学みたいなものを感じていて、合う人と一緒にできれば、おのずと好転していくと思っています。

ーーピッチにおいても、それ以外においても、直感的な部分を大事にしている。その直感は、試合状況や、その人の背景みたいなもの踏まえて判断しているんですね。

柏木さん かっこよく言えば(笑)。でもそういう部分も大事なんじゃないかな、と思っています。引退してからも「もっとまじめにやれば、海外に行けた」とか「レベルが上がった」みたいなことを言ってくれる人もいるんですね。確かにそうだよな、って納得します。もっとやれたよな、もっとこだわれたよなって。
 でも、一方で自分ってそこまでできないということもよくわかっていて。レッズ時代、優勝を逃した翌年、今年こそはって生活を見直したんです。最初はすごく調子が良くて、でもだんだんうまくいかないときに、どう自分をコントロールすればいいかわからなくなっていった。最終的に優勝もできなくて、他の人がストイックにやって結果を出しているからって自分に全部が合うわけじゃない、ということを実感しました。自分なりに、自分でできるペースでやっていく必要もあるんだろうな、と。じゃあ自分なりにできることってなんだろう、っていうとそういう直感的なところと、人を大事にする、ということ。それさえしっかりできれば、間違えることはないのかな、と今は思っています。

ーー浦和退団の経緯となった規律違反などもありました。そういう経験が生きている。

柏木さん そうですね。自分の弱さや甘さがありました。いろいろな人にご迷惑やご心配をおかけしました。自分にとって大事な人たちを大切にできていないことになってしまい・・・。時間を戻すことはできないので、一番に声をかけてもらったFC岐阜のため、そして支えてくれる人たちのために、全力で力になりたいと思い、過ごしてきました。

ーー人を大事にしてきたからこそ、引退を発表した時は多くの人からねぎらいの言葉があったと想像します。

柏木さん 引退を決めたとき、(香川)真司が連絡をくれたんですね。「陽介くんのことを悪く言う人はいないよね」って。すごく嬉しくて。実際は、僕のことを嫌いな人もいると思うんですけど、そうやって思ってくれることは、自分が大事にしてきた「人を大切にする」ことができてたんじゃないかな、って。柿谷(曜一朗)は、「引退試合あったら絶対呼んでください」って声を掛けてくれたり。柿谷なんて一回、食事したことがあるくらいです。
 自分がやってきたこと、大切にしてきたことは間違っていなかったのかなと、感じられる瞬間でしたね。

ーー大事な瞬間ですね。ではこれからについて最後に。先ほど、現役を終わってからの方が人生は長い、とおっしゃいましたが、どういう人生にしたいですか。

柏木さん 岐阜をもっと知ってもらいたいし、自分なりにサッカーの面白さとかを子どもに伝えられたらな、と思っています。もう走りたくないんですけど、子どもたちといっしょならまだまだ楽しめる気がするし。なんだかんだいってサッカー小僧ではあるんで。 小さい頃からサッカーが好きで仕方がなくて、練習は本当に厳しくやってきました。そこから学んだことは多い。いろんな意味で、現代のサッカーとは違った視点があるので、そういう部分は子どもたちにも新鮮な視点を与えられるんじゃないかな、と。 母子家庭で育ってきたから、母親への感謝はもちろん、子どもたちへの思いが強いのかもしれないです。

ーー人を大切にするサッカー、すごく楽しみですね。

柏木さん 楽しみですね。今朝、味噌汁作ったんです、はじめて。家族の体調が悪かったんで、やってみたんですけど、全然、分からないんですよね。とりあえず、具材切って、味噌を溶いて……

ーー出汁が入ってないですね。

柏木さん 出汁……いるんですね。薄いな、と思ったんですけど(笑)。でも、人を大切にするという意味で、家族の存在は欠かせない。 そういうところでも少しずつ、現役を終えた人生が変わっていく気がしていて。だから、いろんなことに挑戦したいです。走ること以外、味噌汁はもう大丈夫だから(笑)。